「マイクロソフトから,初代Xboxの日本向けローンチソフトとして『たけしの挑戦状2』を出したい,とオファーがあったんです。Xboxの担当者さんが『たけしの挑戦状』の熱烈なファンだったんですね。そこで,私がたけしさんの事務所に話を持っていったところ,たけしさんが直々に話を聞いてくださると。それでタイトーを含めて何度か打ち合わせをして,『やろう』という話になったんです」

 「たけしの挑戦状」には,人を惹きつける何かがあった。それを感じさせるエピソードはほかにもある。
 
 「とてもありがたいことに,あれだけの問題作だった『たけしの挑戦状』を,この担当者さんのように覚えていて形にしたいと思う方が少なくありません。
 コロナ禍で上演中止になってしまった舞台『たけしの挑戦状 ビヨンド』の脚本・演出をされていたヨーロッパ企画の上田 誠さんも,『たけしの挑戦状』に強烈な印象を受けて,いつか舞台化してみたいと考えていたそうです。舞台の稽古を拝見させていただいたのですが,素晴らしい作品になりそうでした。ぜひ何かの機会にこの舞台が実現することを願っています」

 福津氏が今度こそと意気込んだ「たけしの挑戦状2」だが,運悪くタイトーの社内事情が大きく変化し,そのとき動いていたすべてのプロジェクトが,いったん白紙に戻されることになってしまった。「たけしの挑戦状2」も例外ではなかった。

 「これが本当にもったいない話で……。たけしさんはすごくやる気でしたし,マイクロソフトも開発資金を肩代わりするとまで言ってくれたんです。それでもタイトーさんが動かなくて,結局ライセンスだけ出してもらって,ハドソンさんが開発を担当するという話になりました。
 でも一度仕切り直しになったせいで,今度はたけしさんが『やらない』と言い始めて,結局立ち消えになってしまったんです。もし実現していたら,さすがにいい意味で話題になってくれたでしょうね。ハード的な制約もかなり少なくなっていましたから」

 「たけしの挑戦状2」は,どんなゲームになるはずだったのだろうか。

 「たけしさんと『2』について話したのは2回ほどでしたが,また『やりたいことがあるんだ』と話されていて,頭の中には明確な形があったようです。最後に宝を見つけるところは1作めと同じでしたが,『とにかく“逃げる”んだ。街中を逃げる。自分のあらゆる能力を使って逃げるゲームを作りたい』と。発想が映画的なんですよね。追われているシーンから始まって,何に追われているのかすら分からないんだけれども,次第に分かってくる……といった説明をしてくださいました」

 「たけしの挑戦状」のときと同じように,たけしさんはさまざまなアイデアを出したそうだ。

 「たけしさんは数学がお好きなので『太陽の光が入ってくる角度を三角関数で解き明かす』といった,数学的な考え方を駆使して解くパズルといったネタを出していましたね。
 笑いの部分もかなり考えられていて,ゴミ集積所に隠れているところに収集車が来てゴミ袋を持っていってしまい,隠れるところがなくなったみたいなシーンを入れたいとか。
 あとは逃げる手段の1つに変装を用意して,その雰囲気によってストーリーが変わるというアイデアもありました。
 私も『作るのが大変そうだな』と思う半面,『Xboxという新しいプラットフォームなら,実現できるかもしれない』と考えていましたから,話が立ち消えになってしまったのはすごく残念でした」

初代Xboxの日本での発売日は2002年2月22日。(アメリカでは2001年11月15日)

20年越しの新事実が、関係者より明らかにされた興味深いお話ですね。

『たけしの挑戦状』といえば、1986年にファミコンでタイトーより発売された

今現在でも語り草となっている強烈なクソゲータイトル。

名前の通り、タレントのビートたけしが監修したゲームであり、ゲームパッケージにも

ビートたけし本人のワンショットが使われたインパクトのあるタイトル。


非常にシュールな世界観のゲームで、出てくる敵もヤ●ザなどめちゃくちゃなものばかり。

会社勤めをしている主人公は、会社に辞表を叩きつけたり、街でヤ●ザと戦ったり、パチンコ屋で

玉が出ねぇぞ!と叫んでみたり、カラオケボックスで雨の新開地を歌ったり

妻と離婚したり、ヘソクリをこっそり持ち出したりとやりたい放題。

ゲームをクリアするためのヒントがゲーム内に極端になく、様々なフラグを折っておかないと

乗った飛行機が墜落してしまったり、最後の最後で財宝を横取りされたりと、人生は

そんなに甘くないということを、ゲーム内できっちり教えてくれるゲームでもありました。

そのあまりの難易度の高さに、自力でクリアできる人はほぼおらず、タイトーにクレームが殺到し

公式で攻略本を出すことが必要になってしまったタイトル。


情報が極端に少なかった発売当時は、常識はずれの高難易度のゲームとして

歴史に残るクソゲーと評されたわけですが、ゲームシステムだけの部分を見ると

圧倒的な自由度と、そこかしこに散りばめられたミニゲームなどの要素から

GTAやシェンムーの要素などを1986年に既に先取りしていた意欲的な作品とも評されます。


そのたけしの挑戦状の2が、日本でのXboxロンチに画策され、かなりの部分まで

話が進んでいたという裏話が、上記記事内で語られています。

ビートたけしも参加し、様々なアイディアを出していたとのことですが

結局お蔵入りしていたという事実が、20年越しに語られたというわけです。

初めてマイクロソフトがゲーム業界に参入した初代Xbox。

普通に使ってもディスクにキズがつくといった、欠陥が最初に取り沙汰されたせいで

スタートダッシュに失敗し、その後はズルズルと日本での存在感を示せない状況が続いている

Xboxですが(今回のSeriesは歴代最高になる可能性が高そうですが)このたけしの挑戦状2が

お蔵入りすることなく、発売されていたら、今とは違った未来があったのかもしれませんね。

歴史にたらればは厳禁ですが、たけしの挑戦状2が発売された世界線の日本での

Xboxの存在感がどうなっていたのかという、ifの世界に思いを馳せるのもいいのかもしれません。


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