旧ノイズファクトリーのTwitterアカウントは本日(2022年3月30日),「豪血寺一族」シリーズの復刻企画が頓挫したことを明らかにした。
この企画は,アーケード版「豪血寺一族」が来年に迎える30周年を記念すべく進められていたもの。頓挫の理由は,版元から許諾を得られなかったためであるという。
なお同アカウントは「あるキャラクターがポリコレ(political correctness)になるリスクが高く訴訟に発展するリスクが高い為」(原文ママ)と述べているが,恐らく「ポリティカル・コレクトネス(政治的妥当性)に反する可能性が高く,糾弾を受けるおそれがあるため」という意味だろう。
ご無沙汰してました…
「豪血寺30周年」に向けてリリース
されたゲームの復刻を昨年11月から
版権元に申請していましたが、あるキャラクターがポリコレ(political correctness)になるリスクが高く訴訟に発展するリスクが高い為、ゲーム復刻の許諾はおりませんでした…— noise factory (@noise_mail) March 30, 2022
とても残念気持ちでいっぱいです。
ポリコレ対象になりそうなキャラが
含まれてないタイトルだけでもと
申請しましたが、それも許諾NGで
した。時代の流れを理由にされると
過去のゲーム復刻はより困難になって
行く事でしょう。— noise factory (@noise_mail) March 30, 2022
豪血寺一族は、アトラスが1993年にアーケードで稼働させた格闘ゲーム。
スト2ブームに便乗する形で、雨後の筍のように発売された当時の格ゲーラッシュの中で
非常に個性的なキャラクターが出ることで、他の凡百の格ゲーとの
差別化を図り、その後シリーズが数作出た、格ゲーというジャンルの中では
比較的ヒット作の部類に入るシリーズとなります。
名前の通り、一族の闘いをモチーフにしたゲームで
売りは一部のキャラクターにある変身システムだったりしますが
キャラクターにイロモノが多く、マトモなキャラのほうが
少ないというなんとも凄まじいゲームです。
なので、今回のポリコレが原因というのは、引っかかっていそうなキャラが
数人思い浮かびますが、それが問題で復刻プロジェクトが頓挫した…という話です。
人権配慮とかを軽視するつもりはありませんが…間違いなくポリコレはやり過ぎで
マイノリティが弱者理論を過剰に振りかざす風潮は、個人的にはどうにも好きになれません。
この手の批判をすると、どこかからクレームが付きそうなのであんまり深入りはしませんが
ポリコレと言った概念で、昔のゲームが再度陽の当たることを拒否されるのは
いろいろな意味で、弊害のほうが大きいのではないかと個人的には思っています。
なんとも窮屈な世の中になったなと思うのは私だけではないはずです。
マイノリティの権利を主張できるようになったこと自体は基本的に喜ばしいと思いますが、社会の価値基準が異なる時代に作られた作品を、現在の基準で断罪するのは確かに違和感がありますね‥‥‥
表面的な言葉狩りとか、「差別自体の解消」とは本質的にリンクしない動きと感じることは少なくありません。
ただ現実に、悪意を持って作品に差別的意図を持ち込む人が(多数ではないにせよ)いるのが余計話をややこしくしている印象も。
少なくともこの豪血寺一族に関しては、仮に一昔前のステロタイプ日本人(出っ歯・厚い眼鏡でブロークンな英語をたどたどしくしゃべる)的なキャラが登場しても、(同じ日本人として)笑って楽しめるであろうウィットのあるゲームなのになあ、と僕は感じました。
マイノリティはマイノリティなりの主張の仕方があると思うのですが、それを越えてくるので行き過ぎ感が半端ないのですよね…。
マイノリティが認められるような世の中になってきたとはいえ、やはり根本的な差別というか考え方においては人々の意識を変革させるのはまず不可能だと思うのですよ。
この問題って答えは出ないと思うのですが、今はマジョリティとマイノリティの歯車が絶望的に噛み合っていない…そんな風に思っています。
豪血寺一族にかぎらず、ゲームなどのサブカルチャーにおいて
ステレオタイプやお約束的なものを誇張した表現はたくさんあると思います。
すぐに思い浮かぶのは逆転裁判でしょうか。
こういうのも一つのユーモアとして捉えるべきなのでしょうが、その行為すらも差別などと言われ封じられることは、やはり息苦しさしか生み出さないと思いますね。