ヤフーニュースなど大手のニュースサイトや
NHKなどのニュースでも報じられていたので、大体の人は
もうご存知かと思いますが、ドラゴンクエストの作曲家こと
すぎやまこういち氏が9月30日に
敗血症性ショックで亡くなっていたことが、スクウェア・エニックスより報告されました。享年90歳。
ゲームの「ドラゴンクエスト」シリーズなど、幅広いジャンルの音楽を手がけてきた作曲家のすぎやまこういちさんが先月30日、敗血症性ショックのため亡くなりました。90歳でした。
日本のゲーム好きなら、まず知らない人はいないでしょう。
元々はテレビなどの芸能界にて、様々な音楽を作っていた方でしたが
大のゲーム好きで知られる人物でもあり、ドラゴンクエストの音楽を
担当するに至った経緯は、そのことを知ったエニックスの関係者が
すぎやま氏に直接、ドラゴンクエストの音楽の制作を打診したという話があります。
すぎやま氏は最初から乗り気だったものの、ゲームを制作しているチュンソフトの
メインプログラマーであった中村光一氏は、当初すぎやま氏の態度に対して
色眼鏡をかけて見ていたといいます。チュンソフトが独自で当然ながら音楽を制作していたからで
最初はその音楽を作ったプライドもあって、畑違いの業界の人物が作曲をしようとしたことに
強く反対をしたという逸話があります。しかし、すぎやま氏の幾つかのゲームに関する
逸話を実際に聞かされて、態度が軟化し最終的にドラクエの音楽はすぎやま氏が手掛けることになりました。
当時のファミコンは、同時発音数が最大3音+ノイズという貧弱なものだったので
多くの音楽家は及び腰だったものの、すぎやま氏は逆に、3音であろうと音楽は作れるとチャレンジし
何度も繰り返し聴くものだからと聴き飽きない音楽になるように心がけ
またクラシックベースで作った音楽を3音に落とし込んでいったという神業のような仕事をします。
3音しか同時に鳴らせなくとも、分散和音と呼ばれる一音でありながら高速でアルペジオを
繰り返すことによって、音に厚みをもたせる手法を用いて、3音とは思えないような曲を多く作っておりました。
ドラクエ3のラスボスのゾーマの曲である『勇者の挑戦』などは、うねるような高速アルペジオが
圧倒的な威圧感と疾走感を醸し出すことに成功しています。
まさにゲーム音楽において、初期の頃からその存在感を示すのに
大きな貢献をしたのがすぎやま氏。特にドラクエの序曲は、もはやゲーム音楽を飛び越えて
日本では耳にしたことが無い人を探すのが難しいのではないかというぐらいに一般的な音楽となりました。
2020東京オリンピックの開幕式でも使われ、日本のゲーム業界を代表する一曲だと思います。
基本的にドラクエに携わってからは、テレビ関係などの仕事はせずに
ドラクエの作曲家として音楽家人生を歩んできたすぎやま氏。
とはいっても、本当にドラクエ一筋ではなく、例えば46億年物語(PC・SFC)であったり
風来のシレンシリーズだったり、少し変わり種ではSFC版半熟英雄(半熟英雄シリーズは幾つか出ていますが
基本は植松氏が作曲。SFC版のみすぎやまこういちが作曲を行っています)
どれも印象深い曲で、それぞれに音楽的にもファンがついているタイトルではないでしょうか。
今年で90歳だったということで、ドラクエのメイン関係者である堀井雄二氏・鳥山明氏
そしてすぎやまこういち氏の3人のうち、すぎやま氏が最初にいなくなってしまうであろうことは
容易に想像ができてはいたわけですが、その時が来ると、やはり寂しさと悲しさを覚えるものです。
個人的にドラクエ3の音楽は、非常に印象的な音楽が多く、フィールド曲の冒険の旅や
ジパングの曲であったり、幽霊船の不気味な曲、ラーミアに乗った時の勇ましくも
美しさを感じさせるおおぞらをとぶ、そしてアレフガルドの集大成の曲。
ラスボスの勇者の挑戦、そしてスタッフロールのそして伝説へなどは今でも色褪せない
個人的ゲーム音楽の名曲として、燦然と自分の中で輝いている楽曲群です。
自分がゲーム音楽好きになった、かなりのウエイトを締めたすぎやまこういち氏の楽曲。
本当に本当に素晴らしい数々の音楽をありがとうございました。心よりお悔やみ申し上げます。
そして35年という長い間のドラクエとの関わり。本当にお疲れさまでした。
今個人的には、ドラクエ2のエンディングである、この道わが旅のメロディが今頭に響いております。
かつて、ニンテンドードリーム2005年11月号でのインタビュー(正確には、近藤浩治氏との対談)にて・・・
「『3トラックで音楽ができるわけがない』という声も聞かれたんですが、僕から言わせると、『それは力がないからだ』ということになるわけです。バッハの『フルートのための無伴奏パルティータ』は、フルート1本ですばらしい組曲ができてるわけです。あれは、1トラックなんだよね。1トラックでも、メロディ、ハーモニー、リズムをぜんぶ表現できるということを、 大先輩のバッハがやってるわけですから、『2トラックではできません』というのは、プロのセリフではないわけです。」
という発言をされていました。
事実、ファミコンの初代ドラゴンクエストの時は、そういった制約の中で全ての楽曲を1週間で製作されたという功績は、プロとしてのお手本ともいえる、素晴らしいものだと思います。
すぎやまこういちさんの御冥福をお祈りします。
元々はゲーム音楽ではなく、テレビとかの業界での劇伴とかを多く担当されておられましたが、無類のゲーム好きでもあり、それが縁でエニックスのゲーム音楽に携わるようになり、そしてドラクエで、ゲーム音楽作曲家の第一人者になると同時に、ゲーム音楽という音楽ジャンルもメジャーにした方だったんですよね。
その地位を得たのは、やはりひとえに妥協を許さぬ、ゲームにはゲームのやり方をちゃんと理解して適応させた才能があったからということなのでしょう。
冗談抜きで、ゲーム音楽の現在の地位があることの多大なる貢献をしたのは間違いなかったと思いますね。
正直驚愕より年齢もあって遂に訪れてしまったか…って感じです
自分は4の街でのひととき、9の決戦の時が好きでした
さすがに90ともなると、いつお迎えが来ても…と普通では考えますからね。
晩年まで精力的に活動されていて、おそらく亡くなる直前まで仕事に打ち込んでいたんだろうなと思います。
4の街でのひとときは自分も好きですね。明るい曲調の中にどこか寂しさが感じられるのが好きでした。
天空城を聴きたいがために何度も天空城に乗っていました
ご冥福をお祈りいたします
天空城は4と5で特に重要な施設でしたからね。
4の天空城はファミコン音源とは思えない優雅さがありました。
筒美京平氏(すぎやま氏とは師弟関係!)、菊池俊輔氏、小林亜星氏、そして今回と、昭和の大作曲家たちの時代がいよいよ幕を閉じようとしているかのようです‥‥‥
ドラクエのための仕事は最高品質のゲーム音楽という枠を超えて、(NHK交響楽団などの堂々たる交響曲CDの存在も大きく)聴いた人の心を揺さぶるものでした。
(クラシックの総本山ウィーンフィルが最近、スターウォーズ他ジョン・ウィリアムズ作品の演奏会を開催し話題になりましたが、ドラクエ音楽も全く引けを取るものではないと自信を持って言えます)
3については、谷山浩子さん(ゲド戦記 主題歌など)が「すぎやまさんに大きな波が来て、書かされたんだと思う」が語った通り、全曲が傑作と言うしかないものでした(そして伝説へ は、誇らしさ・哀愁・雄大さと、次々最高テンションの感情の渦に揺さぶられます‥‥‥)。
子どもの頃、辛いことがあっても「こんな綺麗な音楽が存在するなら、将来にいいことが待ってるかもしれない」と励まされました。 今はもう少し現実を知って、あの頃ほど無邪気ではいられませんが、それでも忘れられない思い出であることに変わりはありません。
‥‥‥哀悼の意を捧げます。
昭和最後半の生まれですが、本当に昭和は遠くなりにけり…ですね。
昨年も音楽関連で逝去されてしまった方も多かったように思います。
ゲーム好きが高じてドラクエの仕事をするようになったすぎやま氏ですが、生涯のライフワークになったことはすさまじいことだなと思います。1986年に初代ドラクエが発売されてから35年間。後半は年齢による衰えを指摘はされながらも、それでも亡くなるまでこのタイトルに関わり続けたのはすごいなと思います。そもそも90歳で亡くなられたので、初代ドラクエの音楽を作曲し始めたのが55歳ということにもなりますから、その年でも幅広い年代層に受け入れられる名曲を多数作曲したことには、本当に感嘆するしかない実績だと思います。
自分はドラクエの曲が無ければ、間違いなくここまでゲーム音楽好きになっていないことは間違いないと断言できます。本当に多数の素晴らしい楽曲を作っていただいたことに再び哀悼の意を示したいと思います。