2011年2月26日、全世界で大ヒットを飛ばし、任天堂歴代ハードの中で
最大の売上を誇ったニンテンドーDSの後釜として
発売されたハードであるニンテンドー3DS。
かつて任天堂が発売されていた、立体視を体験できるゲームハードであったものの
その独特な形状から、鳴かず飛ばずに終わったヴァーチャルボーイの雪辱を晴らすため…
かどうかはわからないが、裸眼立体視を売りにしたハードであり
DSの上下2画面、下画面タッチパネルという操作系統を継承しつつ、裸眼立体視で
飛び出す映像を楽しめるという画期的なハードとして発売された。
ゲームだけではなく、3DSの飛び出す画像を利用したいつの間にテレビなる配信も
初期の頃には行われており、日刊トビダスなどユニークなコンテンツもあった。
発売当初の価格は25000円(税抜)DSの頃と比べると初期は強気な価格(とは言っても利益を取るための価格)で
販売され、初動こそ勢いがあったものの、発売からわずか2週間ほどで発生した
東北太平洋側の沿岸部で壊滅的な被害を出した東日本大震災が発生し
売上が厳しい状態に陥った。その後、発売から半年も経たずに売上が鈍化したことに対して
テコ入れをするために本体を1万円引きの15000円という価格改定を行うこととなり
当時の岩田社長と任天堂には厳しい声が多く相次いだ。
しかし、この英断が功を奏し3DSの売上は一気に回復。しばらくは逆ざやで売ることを
余儀なくされるも、その年の3DSカンファレンスで発表されたモンハン3G、そして
モンハン4が3DSで開発されているという衝撃の発表が行われ
ソニーのPSP、そして同年12月発売のPS Vitaに大きく水を開けることに成功した。
その後は非常に安定した売上を記録し続け、後に画面の大型化であるLL。
更には性能を上げたNew3DS・LLの発売。そして海外で先行していた裸眼立体視機能を
削って廉価版とした2DS。最終的に2DSLLまでが3DSシリーズとして発売された。
軌道に乗るまで紆余曲折があったものの、最終的には日本国内で全シリーズ合わせて
ファミ通の累計販売台数では2450万台以上の販売台数を記録している。
全世界では7500万台以上売り上げて、流石にDSには及ばなかったものの、携帯ハードとしては
特に日本国内で大きな記録を残した記憶に残るハードだったと言えよう。
管理人も発売日に当時は新潟駅構内にあったヨドバシカメラに予約をして並びに行ったことを覚えている。
ゲームの出来は何より、すれ違い通信という遊びやARゲームズといった拡張現実を使った
面白いタイトルが内蔵されており、そちらでもよく遊んだものである。
個人的な話になるが、おそらく歴代ゲームハード史上個人的に最も
シリーズの新品を買った(通常3DS・LL、New3DS・LL、ポケモン限定2DS、通常2DSの計6台)
ハードでもあり、何かと思い出が多いハードとなっている。
今でもゲーム週販で、毎週3桁ほどの売上が確認できる2DSLLであるが
ついにその生産が9月16日を以って終了となったことが告知された。
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ニンテンドー3DSシリーズが9月16日を以って生産終了に!一つの時代が終わる…。
というわけで、最近は慌ただしく取り上げたいニュースも多数あったことで
すっかりと記事にすることが遅れてしまった、このブログにあるまじき行為をしてしまったわけだが
やはり、一つの時代を築いた3DSの生産終了という話については触れずにはいられない。
任天堂は9月16日、携帯ゲーム機「ニンテンドー3DS」の生産を終了したと発表した。大画面モデル「Newニンテンドー3DS LL」「Newニンテンドー2DS LL」や、廉価モデル「ニンテンドー2DS」などの生産も終了した。
ニンテンドー3DSは、任天堂が2011年に発売した携帯ゲーム機。裸眼で視認できる3D映像を表示する機能や、前世代機「ニンテンドーDS」「ニンテンドーDSi」のゲームソフトを遊べる後方互換性などを備えている。対応タイトルは「ポケットモンスター サン・ムーン」「とびだせ どうぶつの森」など。
というわけで、2011年2月26日から続いてきた3DSの歴史は
9年半強という期間でその終焉を迎えることとなった。
とはいっても、国内で1500以上出ている既に発売されているタイトルは
まだまだ遊べるわけで、生産終了という状況を一つの区切りとして
これからもその豊富なソフト資産を楽しむことはできる。
それにしても、ニンテンドーDS発売の2004年から後継機の3DSまで
携帯機として圧倒的なシェアを16年取り続けたDSシリーズがいよいよ終わるとなると感慨深いものがある。
今まで9年半の間本当にお疲れさまでした。そしてこれからもよろしく。
最後の完全余談だが、本日でスイッチLiteが発売されてちょうど一年ということで
時の流れの速さに驚くばかりである…最後の最後で本当に余談で申し訳ない。
9年半ですか!いろんなゲームにお世話になりました。とても歴史を感じます。
わたしは最初機のとnewLLを買いました。わたしの人生の一部と言っても過言ではありません。
すれ違い通信のおかげでとび森等ですごい楽しんだ記憶があります。様々な人との出会いも3DSとのお陰です。何人のも女性とも別れましたw
ゲームボーイ(カラー以前)は販売期間ももう少し長めで販売台数も上でしたっけ?
何はともあれお疲れ様でした。
生産終了ということでまた売り上げが伸びるかもしれませんねw
長いようで短かった9年半でしたね。発売直後に東日本大震災があったのがもうそんなに前なのかというのもあります。
DSと合わせると16年間という長い間、携帯機の覇権を取っていたということですね。
自分もゲーム人生の中で、多くの時間をともにした携帯機です。発売日に並んで買ったのはこれが初めてだったと思います。
すれちがい通信も盛り上がっていた時は本当に楽しかったですね。人の多いイベントに持っていっては
帰ってきた時に蓋を開けるのがとても楽しみでした。色々な思い出がいっぱいですよ。
生産終了発表後の週販、案の定伸びましたねw
いつかはこの時が・・・とは思っていましたが、いざその時が来ると、わかっていても切なくなるものがありますね。
3DSの正統的な後継機もいつかは・・・と思っていたのですが、その発表もなく終了なので、尚更切なく感じます。
前世代のDSの世界累計売上台数が1億5402万台に対し、3DSの方は7587万台(調べるまで知らなかったのですが、PSPよりは売上台数は少し下だったみたいで、ちょっと意外・・・)と、見劣りはしますが、名機ではあったと思います。
私個人としては、まだ遊んでいるゲームも幾つかあるので、終わったハードという感じではありませんが、「ありがとう、3DS。」という気持ちです。
ゲーム機である以上、いつかは終わりが来ますがやはりその時が来ると寂しいものがあるのは事実ですね。
やはり2つのラインを動かすのは大変だったのかもしれませんね。スイッチで事実上一本になってからの
ゲームは非常にクオリティの高いソフトが揃ってきているので、結果的には良かったのかな。
まぁ、携帯機はずーっと任天堂が突っ走ってきたジャンルであるので、続けてほしかったというのもありますが
今の御時世的には、一つに集中するのが賢いと言えるのかもしれませんね。
おっしゃるとおり、DSと比べると3DSは見劣りするんですが、逆を言うとDSが異次元過ぎただけとも言えるわけで。
全世界で7500万台は相当立派な数字だと思いますよ。本当にありがとう3DS!ですな!
僕は昔から、携帯ハードより据え置きハードが好きでした。映像やキャラモデリングが綺麗、出来る事も多いなどの理由からです。例えばテレビゲームのスマブラだと、あのエスキモーペアが出られるけど携帯ハードだと出られない、など(笑)カート7はココナッツモールのMii車が2台、前作Wiiは3台だったりも。…なのでWiiUでソフトが出ず3DSだけでしか出ない状況がずっと続いてた時には寂しかったですね。一人でガッツリ、というゲームもほぼ3DSに集中し、WiiUは何かしらミニゲーム集でしたから。中でもぶつ森。本編出さない、加えニンテンドーランドのミニゲームの一つや人と繋がるチャットツール、そしてすごろくゲーム。で、3DSでは本編出てると。
3DSで買ったゲームは3Dランド、カート7、Newマリオ2、マリオソニック2つ、カービィ二つ、スマブラなどです。特にスマブラ以降はほぼソフトを買わなくなり、買ってもあんまやらなくなっちゃってました…。PS3や4に行ってたんです(笑)幼い子向けのゲームの比率も多めでそれもありましたね。特に子供向けアニメのゲームは、昔と違ってじっくり遊べるアクションやRPGが無くなり、PICOっぽい色合いもあるような感じの内容になってて3DSでもそうでしたから。発売当初は愛着持って遊んでました。ソフトも出るし、人との繋がりをゲームとしての遊びに活かしてもいましたから。オフライン方面で、です。スマブラは特に遊んでましたね。
日本では携帯ハードのほうが人気が高かったですが、据え置き派だっていっぱい居たわけで
そういう人たちからすれば、Wii Uと3DS時代は歯がゆいものだったのかもしれませんね。
逆に今は据え置き派の人たちが満足するような状況でもあるわけで。
一本にリソースを絞った任天堂の強さは明らかに異次元ですからね。
しかもスイッチは携帯機にもなると来ているので、まさに最高のハードということになりますな。
長年の据え置き派、携帯派の夢が詰まったハードがスイッチと言えるのでしょうね。