管理人がゲーム業界で使われるネタにされる言葉…すなわちよく分からない言葉を

よく分かるように解説するコンテンツの第21回目です。

というか、前回の更新が気づけば4月終わりだったという…5ヶ月ぶりの更新であります←


ネタが無かったと言うよりは、なんとなく取りまとめるのが難しいようなものばかりが

候補に浮かんできたので、しばらく更新を行っておりませんでしたが、久々に書きたいなぁと

思う内容が出てきたので、更新となります。今回はタイトル通り『組長』という

言葉について解説致します。ただこの言葉、基本的にはゲーム業界の用語ではありませんw

ただ、ゲーム好きの人であればこの単語で思い浮かべる人はまず1人…そんな言葉になります。


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第21回 組長とは?

皆様は『組長』という言葉にどんなイメージを思い浮かべますでしょうか?

子供のコミュニティであれば学級の組長とか、そんな発想があるかもしれませんが、長じた大人が

大体この言葉で思い浮かべるのは怖い人たちの一番偉い人という

イメージがまず一般的ではないでしょうか?管理人もそうです。


というわけで、普通はそんな人を思い浮かべる言葉だと思いますが、ゲーム界隈の話で

組長といえば、まず任天堂の3代前の社長である故・山内溥社長のことを指します。

しかもこの愛称は親しみを込めた、ある意味特別な愛称と言えるかもしれません。


それでは本来であれば、山内溥社長のはずが、なぜ組長なのでしょうか?

それは別に山内社長自身がそのように呼称したわけでは当然なくて

例えば、こちらの人物の顔写真などを見ていただけるとわかりますがなかなかに強面で

貫禄のある風貌をしていること。そして数々のエピソードが山内社長をいつから自然と

組長とネットユーザーなどに自然と呼ばせるようになった…というのが真相であります。


山内社長は、元々任天堂の創業者である山内房治郎の曾孫に当たります。

1927年生まれで、2013年に肺炎で亡くなりました。享年85歳。

山内社長が22歳のとき、当時任天堂社長だった祖父である山内積良が病気に倒れ、その後を

否が応でも次ぐことになります。そして、あまり乗り気ではなかった山内社長が会社を継ぐことを

決断する条件として提示したのが、血族を経営から外すということ。

実際には完全に解雇するわけではなく、要職から血族を外すというものでしたが、正直

同族経営で今まで運営されてきた会社としては、恐ろしいまでの大胆な決断です。

しかも、任天堂側もその要求を飲み、結局山内社長は任天堂の第三代目の社長として22歳の若さで就任するわけです。


その後、経営について天賦の才能を見せつけることになります。

例えば、1953年に日本初となるプラスチック製のトランプを製造・販売したり

1959年にはディズニー柄のトランプを販売し、今までは博打などのイメージが強かった

トランプを一般家庭に浸透させるという手腕を見せています。

現在も任天堂製のトランプは、コンビニなどで容易に購入できますが、まさに日本では

プラスチック製のトランプの第一人者だったというわけです。


それまで任天堂は、京都で花札やトランプ、麻雀牌などの商品を製造・販売していたわけですが

山内社長は、アメリカの大手のトランプ会社の予想外の規模の小ささから、トランプだけでは

いずれ限界が来るという考えに至り、1960年代から様々な分野の商品を出し始めるようになります。

コピー機だったり、食品だったり、今の任天堂からでは想像できない変わった商品の一例は

こちらのページで見ることが出来ます。またタクシー会社などの運営も多角経営の一環として行っています。

ラブホテルを経営していたという話もありますが、これは現在は真偽不明の話になっています。


しかし、この多角経営はことごとく失敗し、任天堂は一時期倒産の危機にまで陥ります。

今現在は、無借金企業で、内部留保もしばらく収入が無くても、全社員を何年も食べさせていけるほどに

あるとされる任天堂ですが、実はこんな苦しい時代もあったのです。

しかし、1965年に、当時任天堂の社員で、後に交通事故で若くして亡くなってしまった天才・横井軍平が

会社内で自分の作ったおもちゃで遊んでいるところを、山内社長に見つかり、怒られるかと覚悟をしたところ

それを商品化しよう!と提案され1966年に発売された、ウルトラハンド

起死回生の大ヒットを飛ばし、任天堂は倒産の危機を免れます。


その後横井軍平は、任天堂のヒットメーカーとなり、多数のヒット商品を生み出します。

そして現在の任天堂の方向性を決めたのは、1980年に発売され大ヒットとなった携帯型ゲーム機である

ゲーム&ウォッチでしょう。2画面のものもあり後のDSにつながる商品でもありました。

今やゲームのコントローラーの入力方法としては欠かせない、十字ボタンなどが生まれたのもこのゲーム&ウォッチです。


山内社長は、特に製品開発を行ったわけではありませんが、横井軍平や宮本茂など

そういった新しいアイディアを生み出す人の嗅覚が抜群にすごく、またその人達が

出してきたアイディアにゴーサインを出す豪胆さがありました。

当時潰れかけだった、ゲームディベロッパーであるHAL研を資金を出して倒産を回避させ

その時のプログラマーの1人だった、故・岩田聡をHAL研の経営を建て直させるキーパーソンとして抜擢し

後に任天堂の社長として直々に岩田社長に白羽の矢を立てて指名したのも山内社長でした。

とにかく人を見る目がずば抜けていて、更に先見の明も持っているカリスマ社長として

基本的にはワンマン経営と捉えられてもしょうがない経営方針でありながら、社員からも

親しまれる社長として、任天堂の躍進を演出した張本人と言えます。


独自の経営哲学を持ち、山内語録とでも言えるような様々な言葉を多数残しています。

『遊び方にパテント(特許)はない』『ハ-ドはゲームをするために仕方なく買う物』と言った

言葉は今もなお、山内社長の経営哲学を垣間見せる言葉として度々取り上げられることがあります。


山内社長の数々の発言は、ネット上でまとめられているところがありますが

その発言を見ると、今のゲーム業界のあり方を既に20年以上前から予想しているかのような

発言が多くあり、まさにゲーム業界で言えば予言のような状況になっているのが凄まじいところです。

以下の発言などは、まさに今の日本のCSゲーム業界を言い当てているといえます。

大容量ゲームは駄目。こんなことをしていたら世界中のメーカーがつぶれてしまうだろう。重厚長大なゲームは飽きられている。ゲームは常に新しい楽しさを開発し、ひたすら完成度を高めていくことが本質である。
それにもかかわらず、ソフトメーカーはIIだのIIIだの、VII、VIII、IXと出し続けている。クリエイター達は行き詰まり、質的転換を迫られている。日本だけで受けて、しかもVII、VIII、IXだと言っている会社は駄目である。このように、ゲーム業界は存亡の危機に陥っている。反論があるならいつでも受けて立つ。
しかし誰も直接反論しには来ず、陰でものを言う。こうした体質も業界の危機を象徴している。

歯に衣着せぬ物言いですが、今の日本のゲーム業界を見ているとまさに…と思わず言わずにはいられない発言です。

この時には傲慢とも取られるかもしれない発言、しかしそれを裏付ける実績、そして強面な見た目などの要素から

山内社長は、亡くなって5年ほどが経った今でも組長としてネットのゲーム業界ではある意味特別な存在になっています。

山内社長が残した任天堂イズムは、今のスイッチのゲームを見ても受け継がれていると感じるところが多々あり

死して尚、未だに任天堂に大きな影響力を遺している、まさにカリスマ社長であったと言えます。

他にも経営関係で、チームオーナーになりながらも、飛行機が嫌いという理由でただの一度も所持球団である

アメリカのシアトル・マリナーズの生の試合を観戦にいかなかったり(オーナーは普通現地で観戦します)

自分のポケットマネーで、任天堂の地元・京都の京都大学医学部附属病院に70億円の寄付を行うなど様々な伝説があります。

まさに任天堂を語る上では欠かせない人物であり、未だにゲーム業界で組長といえば山内溥社長その人のことを指すほどに

ゲーム業界での組長は、特別な意味を持つ言葉と言えるのです。


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