1996年に発売されたセガサターンのゲームソフト『デスクリムゾン』を開発したエコールソフトウェアの代表取締役であり、ゲームクリエイターである真鍋賢行さんが、『デスクリムゾン』の開発秘話を話し、多くの人たちが注目している。

真鍋賢行さんをインタビューしたのは、ゲーム好きで知られているお笑いコンビ『カミナリ』のおふたり。

頑張って作ったのに世間からは「死ね」と言われた
この『デスクリムゾン』だが、真鍋賢行さんによると、たったの5か月でマスターアップ(開発完了)しなくてはならなかったのだという。死ぬ気で働いて「良いものができた」と思って発売したものの、世間からは「死ね」と言われたという。

『デスクリムゾン』のオープニングの謎
また、とても印象的なオープニングの「ECOLE」という社名が出るシーンにも言及。シュールな音楽とともに不気味なデスマスクが表示されるシーンなのだが、どうしてこんな恐ろしいシーンを作ったのか? その点に関して「なめられないため」と話す真鍋賢行さん。な、なめられないため!

PS5で『デスクリムゾン』の続編に期待
もともとゲーム開発はしておらず、原子炉などの仕事をしていたという真鍋賢行さん。いろいろあってゲームを作ることになったようだが、今後もゲーム開発は続けるようなので、PS5やニンテンドースイッチでの『デスクリムゾン』の続編に期待である。

1996年、セガサターンに超弩級のクソゲー…それこそ、『たけしの挑戦状』に次ぐ

10年に1度のクソゲーとまで言われ、このブログでも主人公の迷言についての関連記事

更新している、最大の問題作『デスクリムゾン』の開発者インタビューの話です。

インタビュアーはこのブログで、こちらの記事で取り上げたお笑いコンビのカミナリ



当時、セガサターン専門のゲーム雑誌として発売されていたセガサターンマガジンの

読者レースという、読者の投票によるセガサターン全タイトルのランキングにおいて

圧倒的最下位を獲得し、その座をほぼずっと譲らなかったことから

侮蔑・畏怖・敬意など様々な感情を込めて、最下位帝王デス様と呼ばれたり

あまりのクソゲーっぷりに、ごく一部のデスクリムゾンをこよなく愛する信者が生まれ

デスクリムゾンを入れたセガサターンの蓋を、接着剤で封印し、デスクリムゾンしか

永遠にプレイできないようにしたデスサターンを制作してしまう猛者が現れるなど

開発者の意図から離れて、ごく一部(これ重要)のユーザー界隈で盛り上がったタイトルです。


また、インターネット黎明期において、バカゲーを舌鋒鋭く批評・レビューサイトとして

当時のテキスト系ホームページ(侍魂などが有名)のフォーマット(黒バック+文字センター配置+フォントいじり)を

確立したサイトの一つと言ってもいい、“FUNNY” GAMER’S HEAVEN

レビューされていたのが、当時の自分としてはかなりインパクトがありました。(なお、このブログは里見の謎も有名)


ガンSTGなのにバーチャガンの照準が合わない、やられのヒットストップが無く

攻撃が激しいところで死ぬと、コンティニューした瞬間に即死、耳を突く音源のチープな音楽。

そして何より、上記当ブログのリンク先で語っている、コードネームに本名が入っている

コンバット越前のキャラクター性や、実写風ながらやけにチープなオープニングムービー。

飛ばせない恐怖のエコールロゴ赤くないせっかくだから赤の扉を選ぶぜ!などの迷言。

そして、プロの声優であるせいじろう氏の熱演(怪演?)など、今でも語り草になっている伝説がたくさんあります。

(というか、この記事で今挙げた要素の時点で既に語ってますなw)


それにしても、真鍋氏の経歴とかは今回始めて知りましたが凄まじいですねw

原子炉などの仕事をしていた人が、なぜゲーム業界に入っているのかなど

(インタビューで語ってそうですが今の時点ではまだ管理人は見れておりませんw)

様々な面白い話がでていますが、それにしても5ヶ月でゲームを作れというのは

ファミコン時代ならともかく、既にゲームの容量がディスク媒体になった

セガサターンのときには流石に、クライアントの無茶振りというのは間違いないでしょう。

ただ、ゲームをプレイするユーザーにはそんなのは関係はないわけで

やはり、もっと余裕を持った開発を依頼するべきだし、受ける側も無理なものは無理ということも必要なのでしょう。

いずれにしても、今でも長いゲーム業界の中でその名を残すデスクリムゾン。

今後もこのゲームは、私も含めて一部で語り続けられ、ゲーマーから忘れられることはないのだろうなとも思います。


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