死ぬまでゲーマーでいたい!

【任天堂 推し企業1位】ファミコン少年がSwitch 2時代に辿り着いて気づいた、愛され続ける5つの理由

僕の「推し企業」は、保育園児のときにファミコンの電源を入れたあの日から、ずっと任天堂のままです。

そんな僕の“偏った愛”を、データが公式に肯定してくれた瞬間がありました。

顧客体験プラットフォームを提供するAsobicaが、全国の15〜59歳の男女1,035人に「推し企業・推しブランド」について調査を実施。

そこで発表された“推し企業ランキング”の全体1位が任天堂だったんです。

トヨタ、パナソニック、ユニクロといった、日本人の生活インフラ級の企業が名を連ねる中で、エンタメ企業である任天堂がトップ

しかも、任天堂は2位以下を大きく引き離す得票だったと伝えられています。

さらにこの調査では、「物価高でも推し企業の商品は値上げしても買い続ける」と答えた人が約5割、そのうち3割以上が「2割以上の値上げも許容できる」と回答している、という結果まで出ています。

――そのニュースを読んだとき、僕の胸の中で、カチッと音がしました。

「ああ、やっぱりそうか。
僕らの人生には、ずっと任天堂がいたんだ。」

ファミコンで初めて「冒険」を知り、スーパーファミコンで「物語」に泣き、NINTENDO64で友だちと夜更かしし、DSWiiで“ゲームしない家族”までリビングに引っ張り出し、Switchで「いつでもどこでも」を手に入れ、そして今、Switch 2時代の入り口でまたワクワクしている。

任天堂公式の資料を開けば、ファミコンからNintendo Switch 2まで、世界中に送り出してきたゲーム専用機が何億台という単位で並んでいることが分かります。

その膨大な数字の中に、「あの頃の自分」や「今の自分」、そして「これからゲームと出会う子どもたち」の時間が、静かに折りたたまれているわけです。

ファミコン少年だった僕が、
大人になってもSwitch 2を購入したいと強く欲してしまう――
その行動の裏側にあるのが、「任天堂」という推し企業なんだと思います。

この記事では、「任天堂 推し企業1位」という最新データと、任天堂公式のハード販売実績や歴史と、そして何より、任天堂ゲーム600本以上と一緒に歳を重ねてきた“死ぬまでゲーマーでいたい!”管理人の体験を掛け合わせながら

この3つを、任天堂愛強めで、でもデータと公式情報にもきちんと裏打ちされた形で、じっくりと語っていきます。

「また任天堂の記事かよ」と笑いながら、
読み終わるころには、きっとあなたも心の中でそっとつぶやいているはずです。

――「やっぱり、俺の推し企業も任天堂だな」と。



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「推し企業」1位・任天堂という結果が示すもの

出典:物価高でも買い続ける「推し企業」商品 – Z世代の約半数が「推し企業」を持つことが明らかに | Asobica調査

まず、今回の「任天堂が推し企業1位」というニュースは、感情論だけじゃなくてかなりガチガチのデータに裏打ちされています。

Asobicaが全国の15〜59歳・男女1,035人を対象に行った「企業やブランドに対する『推し消費』」調査では、

「推し企業」という言葉はふんわりしていますが、ここまでくると生活防衛より“推し防衛”を優先している層が、確実に存在しているということですよね。

そのうえで、「じゃあ日本人にとっての推し企業No.1ってどこなの?」という問いに対して、自由回答で集めた“愛着ランキング”のトップに挙がったのが――

任天堂。

Asobica発表のランキングでは、全体1位の「任天堂」に続いて「トヨタ」「パナソニック」が並び、具体的な企業名ベースで見ると、任天堂・トヨタ・ユニクロなど、日常生活での接点が多い“生活密着型”の企業が上位を占めています。

しかも、コマースピックの記事では、

任天堂やトヨタ自動車は、3位以下と大きく投票数を引き離している

任天堂には強力なIPと独自の世界観が熱狂的なファンを獲得している

と分析されています。

さらに、自由回答での“推し企業”票数は以下のように発表されています。

今回の得票理由として挙がったのは

といったキーワード。


でも、任天堂のゲームで育ってきた身からすると、この分析を読むと頭では「たしかに」と頷きつつ、心の中ではこう言いたくなるんです。

「任天堂は、僕らの“子ども時代”と“今”を、
同じコントローラーでつないでくれる会社だ」

ファミコンの赤い本体と個性的なカセット。
スーファミの柔らかいリセットボタン。
64の3Dスティック。
Wiiリモコンを振り回して笑う家族。
Switchで布団にもぐりながら遊ぶ夜。
Switch 2の起動画面に映る、あの少しだけ未来っぽい光。

全部まとめて「任天堂」という一つの線でつながっているから、物価高でも、新ハードでも、僕らはつい財布の紐を緩めてしまう。

――それはまさにデータが示した“推し企業の条件”そのものなんですが、任天堂の場合はそこにもう一つ

自分の人生の思い出を預けてきた会社だから

という、数字には乗りにくい理由が、同じく任天堂を推し企業としている自分としてはそっと重なっている気がします。

だからこそ、推し企業ランキング1位という結果を見たとき、僕は「意外」よりも、「やっぱりな」という妙な安心感のほうが大きかったですね。

ここから先は、そんな任天堂がゲームの中身ハードの進化を通して、どうやってここまで“推し企業力”を高めてきたのか――

ファミコン少年として育ち、Switch 2時代まで追いかけてきた「死ぬまでゲーマーでいたい!」管理人の視点で、じっくり噛みしめていきます。


任天堂ゲームの魅力――“ただ面白い”を超えた3つのポイント

1. 「誰でも遊べる」のに「プロでも奥が深い」ゲームデザイン

任天堂のゲームデザインを一言でまとめるなら、

「最初の5分は子どもでも遊べて、100時間後はガチ勢でも燃え尽きる」

このバランス感覚に尽きると思っています。

任天堂の作品って、

ところから始まるのに、気づけば

という、“自分の腕前を上げたくなる沼”が待っている。

たとえば『マリオカート』シリーズ。

アクセルとハンドル(+アイテムボタン)だけでも、子どもはゲラゲラ笑いながら走り回ります。でも大人は、

…なんてことを真剣に考えていて、同じゲームを遊んでいるのに、見ている景色がまるで違うんですよね。

SwitchやSwitch 2なら、Joy-Conを1本ずつ配ればそれだけで2人プレイが始められる。

ゲーム機に久しぶりに触る親御さんでも、子どもでも、とりあえず走り出せる。そこから、

「ちょっとそのコース、もう一回やろう」
「今のドリフトどうやったの?」

と会話が生まれていく。

任天堂は、プレイヤーを“お客様”として勝たせてあげるゲームではなく、

「自分で上手くなれるゲーム」をずっと作り続けている会社だと、僕は思っています。

この“上達の手触り”こそが

「また任天堂のゲームを買おう」
「次のハードでも任天堂を追いかけよう」

という、長期の信頼と推し続ける動機を少しずつ積み上げているんじゃないでしょうか。


2. IPの強さ――キャラクターが「友達」になる瞬間

任天堂の強さを語るとき、必ず出てくるのがIP(知的財産)の話です。

任天堂の決算資料では、売上区分のひとつとして「「モバイル・IP関連収入等」」が独立して設けられています。ここにはスマートデバイス向けコンテンツや映像、ロイヤリティ収入などが含まれていて、ゲーム専用機とは別にIPを活かした事業をきちんと数字として開示している。

つまり任天堂自身も

「ゲームソフトとしての任天堂」だけでなく、「IPを通じて広がる任天堂の世界」

を、はっきりとひとつの事業領域として捉えているわけです。

でも、ファン側の実感はもっとシンプルです。

このゲームと現実がゆるくループしていく感覚が、たまらない。

任天堂のIR資料でも、「映画や動画、モバイルアプリ、キャラクター商品、リアルな体験を通じて、専用ゲーム機の外にも任天堂の娯楽を広げている」といった趣旨が語られていますが、ファン目線で言い換えるなら

「ゲームの中で出会ったキャラクターと、現実世界でも一緒に過ごせるようになった」

ということなんですよね。

子どものころ、画面の向こうにいたマリオやリンクが、大人になった今は、映画館やテーマパークやミュージアムで“会いに行ける存在”になっている。

ゲームを遊んでいる間だけの“推し”じゃなくて、文房具、Tシャツ、ぬいぐるみ、映画、イベント……日常のあちこちにマリオたちが顔を出してくる生活

この“二重構造のファン体験”こそ、推し企業ランキングで任天堂が頭ひとつ抜けた理由のひとつだと僕は本気で思っています。


3. 「同じ画面」を囲ませる天才

任天堂のゲームって、グラフィックやストーリーだけで評価するのが、ちょっともったいない。

本質はやっぱり、

「同じ画面を囲んだときの楽しさ」

ここにあると、僕は信じています。

どの世代のハードにも、「みんなで遊んでナンボ」の代表作が必ず用意されているんですよね。

任天堂は、社長メッセージやIR資料の中で、

といった形で、ハードとソフトをセットにした体験をビジネスのど真ん中に置いていると繰り返し説明しています。

要するに、

「みんなで集まって同じ画面で遊ぶ」
「離れていても、同じゲームの話で盛り上がる」

こういった人と人の間に生まれる体験こそが、任天堂の“商品”そのものなんですよね。

僕自身、オンラインゲームも、ソロ専用の濃いRPGも大好物ですが、心のどこかで「ゲームって、やっぱり誰かと分かち合ったときに一番思い出になる」と感じています。

未だにゲームに関する思い出で、僕の強く心に残っているのは、ニンテンドウ64のゴールデンアイを友達のうちで馬鹿笑いしながらプレイしたときとか、マリオカートで悪態をつきながら友人と何も考えずワイワイレースを楽しんでいたときのことです。

任天堂は、その当たり前を一番真面目に追いかけてきた会社。

こうした積み重ねが

「任天堂の新しいハードが出たら、とりあえずリビングに1台置いておこう」

という、家庭レベルの“推し企業”指名買いにつながっているのだと思います。


この3つ――

「誰でも遊べて、プロでも奥深い」ゲームデザインキャラクターを“現実の友達”にしてしまうIPの強さ同じ画面を囲ませるための徹底した設計

このトライアングルが、任天堂ゲームを“ただ面白い”の一言では片づけられない存在にしていて、同時に、任天堂そのものを「推し企業」から「人生単位の推し」へと押し上げているように感じています。


ハードの歴史で振り返る、任天堂という“推し企業”

ここからは、任天堂公式の販売データを握りしめながら、ファミコンからNintendo Switch 2までの歴代ハードをざっくり振り返っていきます。

任天堂は公式リリースの中で

「1983年のファミコンからNintendo Switch 2まで、世界で累計 8億9,000万台以上のハード を販売してきた」

と公表しています。

この数字のひとつひとつに、「放課後」「夏休み」「受験前夜」「子どもが生まれた日」みたいな、僕らの小さな人生の断片が折りたたまれていると思うと、本当にえげつない…。

そんな感情を抱きつつ、推し企業としての任天堂の強さを、歴代ハードの歩みから噛みしめていきます。


1. 花札メーカーからゲーム専用機メーカーへ

任天堂の原点は、ゲーム機ではありません。

ほぼ衆知ですが1889年、京都・下京区で始まった花札製造

これがすべてのスタートです。

その後

と、「遊びの道具」を作り続ける流れの先に、1983年のファミリーコンピュータ(ファミコン)があるわけです。

つまり任天堂は、130年以上「人を遊ばせる」ことだけにほぼフルコミットしてきた会社。(一部例外がありますが)

この“遊びのDNA”が、そのままゲーム専用機の設計思想に流れ込んでいる――

そう考えると、ハードひとつひとつが、ただの家電じゃない存在に見えてきませんか。


2. ファミコン〜スーファミ時代:家庭用ゲームのスタンダードを作った

1983年に登場したファミリーコンピュータ(Family Computer / NES)は、
任天堂公式IRによると、世界累計で

まで伸びています。

続くスーパーファミコン(Super Famicom / SNES)も、

と、当時の「家庭用ゲーム機」のど真ん中をがっちり押さえた存在でした。

この2世代で生まれた、あるいは世界に広がっていった代表的なシリーズをざっと挙げるだけでも、

など、今なお現役で続いている“任天堂の顔”だらけです。

僕自身、「自分の人生の歴史」を語ろうとすると、どうしても途中で

「あのときはファミコンで『ドラクエIII』をやっていて…」
「スーファミの『マリオカート』と一緒に小学校を卒業した気がする」

みたいな話が混ざってしまう。

歴史の教科書には載っていないけれど、
僕らの心の中には「ファミコン元年」「スーファミ元年」が確かに存在する。

この時代に、任天堂はただのゲームメーカーではなく、“人生に食い込んでくる企業”になり始めたんだと思います。


3. NINTENDO 64〜ゲームキューブ:3Dの壁と戦った時代

時代は2Dから3Dへ。
ポリゴンの海に各社が飛び込んでいく中で、任天堂はとことん“遊びの新しさ”に振り切ったのがこの世代。

公式IRによると、

数字だけ見ると、「プレステ全盛期に押された世代」と言われても仕方がないラインです。

でも、この二世代で生まれた「当たり前」は、今も現役どころか、Switch / Switch 2時代の土台にすらなっている。

任天堂は、「売れ筋スペックに合わせる」のではなく、
「このハードだからこそできる遊び」を優先してきた。

その結果が数字的には苦戦、体験的には大勝利という、なんとも任天堂らしい歴史になっているのがN64〜GC期だと感じています。

この“頑固さ”が、のちのWiiやSwitchで一気に花開くことを、当時の僕らはまだ知らないわけですが――。


4. Wii〜Wii U:世界最強のホームパーティー機と、その反動

続くWiiは、ゲーム史に残る「革命機」です。

任天堂公式IRの集計では、Wiiは世界累計で

という、とんでもない数字を叩き出しています。

「ゲームはオタクの趣味」という空気を一回ぶっ壊したのが、Wiiの最大の功績でしょう。

当時社長だった故・岩田聡氏がどんどん先鋭化していくゲームに危機感を覚え、ライト層や女性層などをターゲットにした任天堂らしい路線を打ち立てて一気に存在感を増したのでした。

一方、その次に登場したWii Uは、数字のうえでは苦戦しました。

「タブコン」「2画面」「据え置きだけどなんとなく携帯っぽい」――
コンセプトの伝わりづらさもあって、市場的には決して“成功”とは言えない結果。

でも、ここで試された

といったアイデアは、のちのNintendo Switchの携帯モード/テーブルモードにきれいに溶け込んでいます。

任天堂は「失敗したからやめる」会社じゃない。
「失敗したアイデアを、次の成功のレシピに混ぜてくる」会社だ。

ファンとしては、Wii Uの数字を見るたびに少し胸が痛むんですが、同時に「この試行錯誤があったから今のSwitchがあるんだよな」とも思えて、妙な親心みたいな感情すら湧いてきます。


5. 携帯機の黄金期:ゲームボーイ〜ニンテンドーDS・3DS

ハードの歴史を語るうえで、携帯機の存在は絶対に外せません。

任天堂の「Dedicated Video Game Sales Units」ページによると、

この数字、冷静に読むと本当に「世界の子ども部屋インフラ」レベルです。

「いつでもどこでも、任天堂ワールドをポケットに入れて持ち歩ける」

この体験が、ポケモンやぶつ森といったIPに“生活の一部”としての親しみを与え、任天堂を「家庭用ハードの会社」から「生活に常駐している会社」へと押し上げていったのは間違いありません。


6. Nintendo Switch:任天堂の“集大成”になったハイブリッド機

2017年に発売されたNintendo Switchは、まさに任天堂の“集大成”とも言えるハードでした。

任天堂公式IRの最新データでは、Switchは世界累計で

と、任天堂史上最大級のプラットフォームに成長しています(2025年9月30日時点)。

Switchはそれまでの任天堂ハードで培った要素を、絶妙なバランスで1台に詰め込んでいます。

「ライト層も、コアゲーマーも、インディー好きも、みんな1台のハードに集まってくる。」

そんな空気を作り出したのがSwitchだったと思います。

死ぬまでゲーマーでいたい!管理人としては、Switch世代だけで600本以上のソフト(今年もソフトを買っているので)に手を出しているわけですが(笑)、それでも「まだ遊びきれていない」という感覚があるのが、Switchという土台の恐ろしいところ。

30年以上の試行錯誤の果てにたどり着いた“ひとつの完成形”――
Switchを見ていると、任天堂のしつこさと執念が、いい意味で結晶化したハードだと感じます。


7. Nintendo Switch 2:任天堂はまだ、次のステージに行く


そして2025年、ついに登場したのがNintendo Switch 2

任天堂のニュースリリースによると、Switch 2は2025年6月5日の発売から4日間で、世界販売台数が350万台を突破

これは「任天堂のゲーム専用機として、発売後4日間の世界累計販売台数が過去最高」と公式に発表されています。(というよりは、他社含む歴代全てのハードで最高の数字なんですけどね)

さらに、2025年9月30日時点の公式IRデータでは、

と、発売からまだ間もないにもかかわらず、しっかりと「任天堂の新世代プラットフォーム」として立ち上がってきています。

Switch 2について、任天堂のリリースでは、

といった新要素が紹介されています。

でも、ファミコンから追いかけてきた身としては、スペック表よりも先に、こう思ってしまうんです。

「ああ、また新しい“任天堂時代”が始まるんだな」と。

ファミコンでゲームに出会い、スーファミで物語に浸り、64やGCで友だちと夜を明かし、Wiiで家族を巻き込み、携帯機でいつでもどこでも冒険できるようになり、Switchで“全部入り”の時代を経験したうえで――今、Switch 2という次のページがめくられた。

こうして振り返ってみると、任天堂のハードの歴史そのものが、僕らのゲーム人生の履歴書みたいに思えてきませんか。

そして、その履歴書にはずっと同じ会社名が載っている。

「推し企業ランキング1位:任天堂」という結果は、
単なる一度きりのアンケートじゃなくて、
何十年にもわたって積み重ねられたハードとソフトの“共同作品”の、
ひとつの“ご褒美”みたいなものだと、僕は感じています。

任天堂が「ここまで強い」5つの理由

ここまで歴代ハードとゲームの魅力を振り返ってきましたが、いったん整理して、「なぜ任天堂は2025年になっても推し企業1位クラスでいられるのか」を、5つに絞って言語化してみます。

1. 130年以上「遊びの道具」だけを作り続けている

任天堂の公式沿革をあらためて眺めると、出てくる単語はほぼ一貫して「遊び」です。

130年以上ずっと、「人をどう遊ばせるか」だけを考えてきた会社。

普通の企業って、「事業ポートフォリオの多角化」とか「新規事業領域の開拓」とか、カッコいい言葉とともに本業から遠ざかっていくことも多いですよね。

いや、任天堂も一貫してというわけではなく、一時は食品やコピー機、ベビーカーなどの遊びとは無関係なものも販売していたこともわずかですがありました。

それでも任天堂は

と、ずっと「遊びの表現手段」をアップデートし続けている

これはまさに

「遊びに関する長期一貫の専門性」と「歴史に裏打ちされた信頼性」

そのもの。

ファミコン少年だった僕が、Switch 2の予約ボタンを迷いなく押してしまうのは、一世紀以上続く「遊び屋」としての任天堂への信用に背中を押されているからだと思います。


2. ハードとソフトを一体で設計するから、「体験」がブレない

任天堂は、有価証券報告書や決算説明資料の中で、

「ハードウェアとソフトウェアを一体として企画・開発する専用ゲーム機ビジネスが中核」

であることを繰り返し明示しています。

これらはすべて、「ハードの仕様そのものが“遊び方の提案”になっている」例です。

先にスペックありきではなく、
「こんな遊びをさせたいから、このハードが必要」という順番で作られている。

だから、ゲーム側も遠慮なくハードを振り回せる。

ユーザー側から見ると、

「任天堂のハードを買えば、任天堂らしい体験がちゃんとついてくる」

という、体験品質への信頼につながります。

僕なんて、「Switch 2のスペック表を読み込んでからハードを買う」というよりも、

「任天堂がハードを出す」→「じゃあそのハードで遊ぶゲームは、もうきっと面白い」

と、ほぼ条件反射で財布を開いています(笑)。


3. 失敗を“黒歴史”にしない(むしろ次の成功の栄養にする)

任天堂公式IRの数字だけを見れば、たとえばWii Uの販売台数は

と、WiiやSwitchと比べると“苦戦した世代”に分類されます。

普通なら

「はいこの路線は失敗。全消しして別のことやろう」

となりがちです。

でも任天堂はそうじゃない。

というように、一度出したアイデアを必ずどこかで回収してくるんですよね。

「あのときの“上手くいかなかった部分”が、何年も経ってから別のハードで最強の形になって返ってくる」

――この現象を、ファンとして何度も見てきました。

だからこそ、

「今回うまくいかなくても、任天堂なら次でとんでもない形に化けさせてくるだろう」

という期待を、ずっと持ち続けられる。

この“期待の継続”こそが、推し企業としてのロイヤリティを維持する最大の燃料だと感じています。


4. 「家族」「友達」で遊ぶ設計が、口コミという最強の広告を生む

Asobicaの調査では、「推し企業・推しブランドがある人」に対して、企業への愛着・購買意欲が高まったきっかけを聞いたところ

といった“人とのつながり”が、上位に挙がっています。

さらに、企業主催のコミュニティやイベント参加経験者の82.3%が「愛着・購買頻度が増えた」と回答している、というデータも示されています。

これ、任天堂に置き換えるとどうなるか。

任天堂のゲームは、設計思想の段階で

が当たり前のように組み込まれています。

遊び始めた瞬間から、“小さなコミュニティ”がその場で生まれるようにできている

結果として、

みたいな生の口コミが自然発生する構造になっているんですよね。

広告コピーよりも、「〇〇でこういうことが起きた」という一次体験談の方が、推し企業づくりにはよっぽど効く。

任天堂は、ハードとゲームを通じて、

“ファンが語りたくなる体験”を静かに仕込んでいる会社

だと、僕は思っています。


5. 「ゲームだけで完結しない」世界観の広がり

最後のポイントは、ここ数年で一気に存在感を増したIPの横展開です。

任天堂の決算資料では、ゲーム専用機事業とは別に

を含む「IP関連収入」がしっかり開示されています。

ファン目線に翻訳すると、これはつまり、

という、オンラインとオフラインを跨ぐ「任天堂ワールド巡り」ができる状態になっている、ということです。

Asobicaの調査でも、

「企業主催のコミュニティやイベント参加者の82.3%が、
愛着・購買行動にポジティブな変化があった」と回答

しているように、企業とのリアル/オンラインの接点は、推し企業づくりにかなり効いてくることが分かっています。

任天堂はそれを、マーケ用の「コミュニティ施策」というよりも、

「世界観を丸ごと楽しんでもらうための“遊び場”を増やしているだけ」

みたいな自然体でやっているのが、また憎いところ。

このループに一度ハマってしまうと、任天堂は“ゲームを売る会社”ではなく、“世界観を一緒に育ててくれる会社”として、人生単位の推し企業になっていきます。


この5つ――

これらが絡み合うことで、

「ちょっと高くなっても、新ハードに買い替えることになっても、結局、任天堂は推し続けてしまう」

そんな、“推し企業としての異常な強さ”が生まれているんだと思います。


これから僕らは、任天堂をどう“推して”いくのか

最後に、数字もIR資料もいったん横に置いて。

“ひとりの任天堂ゲーマー”、そして「死ぬまでゲーマーでいたい!管理人」としての本音を書かせてください。

任天堂は、もちろん完璧な会社ではありません。

それでも――です。

ニンテンドーダイレクトの日が近づくと、いまだに子どもの頃の“遠足前の夜”みたいにソワソワしてしまうし、Switch 2でどんな新しい遊びが生まれるのかを想像すると、40代になった今でも胸の内側がじんわり熱くなります。

「この会社なら、また人生の1ページになるようなゲームを見せてくれるはずだ」

そう思えるから、僕は今日もJoy-ConやProコンを握るし、
きっと次の任天堂ハードも、文句を言いながらニコニコ予約してしまうんだと思います。


「推し企業」という言葉は、もともとはアイドル文化から来た言い回しだと言われています。

でも、自分のこれまでの人生を振り返ってみると、

そのどこを切り取っても、背景にはたいてい「任天堂」という文字が浮かんでいるんですよね。

ファミコンからSwitch 2まで続く長い道のりのどこかに、
きっとあなたにも「忘れられないワンシーン」があるはずです。

ラスト1機でクリアしたラスボス戦かもしれないし、夏休みに兄弟で交代で遊んだマリオかもしれない。

卒業式のあと、友だちと集まって最後にもう一度だけやったスマブラかもしれない。

その一瞬一瞬が積み重なった結果としての、「推し企業ランキング1位:任天堂」なんだと、僕は本気で思っています。


そしてこれから僕らは、任天堂をどう“推して”いくのか。

きっとやることはシンプルで、

そんな、小さな「推し行動」をこれからも続けていくだけなのかもしれません。

死ぬまでゲーマーでいたい!管理人として、ここにひとつだけ約束を書いておきます。

任天堂がこれからも、
「遊び」を真ん中に据えたこの企業姿勢を貫いてくれる限り――
僕は、生涯この会社を“推し企業”として追いかけ続けます。

ファミコン少年として始まった僕の任天堂人生は、今、Switch 2時代の入り口に立ったばかり。

この先にどんな景色が待っているのか、まだ誰も知りません。

でも、その未知のページをめくる相棒が「任天堂」であるなら、きっと大丈夫だろう――そう信じている自分がいます。

これからも、死ぬまでゲーマーでいたい。

そして、その隣には、ずっと任天堂がいてくれたら嬉しい。

そんな一人の任天堂ゲーマーからのラブレターとして、この記事を締めくくります。



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